昭和史~1926~1945~ 半藤一利著

 

昭和史 

奉天にいたのは板垣征四郎、石原莞爾...九月十六日夜、板垣以下メンバーがもう一度集まって、酒を飲みながら...十七日午前三時になって、板垣が「こうなったら運を天にまかせて割り箸を立てて決めようじゃないか」...ともかく右へ転んだら中止、左に転んだら決行、といことでやってみたら、右へ転んだらしいんです。ということは中止ですね。...やはりここまで来たらやってしまおうじゃないか、と今田新太郎や三谷清ら若い強硬派の声が高く、再び「やるか」という空気になったようです。

 

以上は半藤氏の「昭和史」の満州事変の項の抜粋。こうして割り箸で満州事変は決行がいったん中止となったが、結局いわく柳条湖事件が決行され、以降の15年戦争が始まった。アジア・太平洋戦争の源流はどこのあったのか?半藤氏は特に中央の参謀たちの「根拠無き自己過信」や「不敗神話」に基づく「驕慢な無知」を指摘する。さらに連綿と漂う非現実的な精神 論やマスコミの太鼓たたき、それにあおられた国民全体を支配しつつあった熱狂が、ボディーブローのように少しずつ日本を戦争へ導いていったと指摘する。

ファナティシズム(熱狂)は少数意見をかき消し、日本全体をその渦に巻き込んだ。その渦は海軍の白い詰襟の制服と同値に映し出されむしろ颯爽としていた。熱狂がいっそう肯定された。しかし日本のみならず世界の歴史がこの愚かさを繰り返している。第一次世界大戦を描いた「西部戦線異状なし」においては、戦争の勇敢さや力強さを煽るプロパガンダにドイツの若者が吸い寄せられて出陣したが戦争の残酷な現実に直面しその落差に気づく愚かさが記されている。

いつも国家は煽る、“諸君の血が正義を守るのだ!”と。そのとき若者は英雄的な勝利の姿しか思い浮かべない。しかし程なくして若者は自らの体中に蛆虫が湧きジャングルや熱帯の海浜で野垂れ死んでいくのに気づく。皮肉なことに「海ゆかば」の歌詞のごとく“水づくかばね。。。くさむすかばね。。。”が成就されたことになる。

人生はそのような無意味な野垂れ死にに比肩するほどしか価値がないのであろうか。しかもわずか20年ほどで“お国のために”人生が打ち切られてしまった若者はついていなかったとしか言いようが無い。。。

 

さらにこの力作は戦争へ日本を導いていった日本人のあり方が現在の日本のあり方とさほど変化が無いと疑念を投げかけている。この点においては同感のきわみである。「歴史から学ぶ」ということがいかに困難であるのか。それは何より歴史=戦争の歴史という関係が成り立つことをみても明白である。

 

この著書の存在価値はまさしく「現在や未来への警告」に有るように感じる。このような著書が平和ボケの日本人に対して鋭い問題提起を起こし覚醒させてくれるのである。本当に最高の歴史書である。学校の教科書のような丁寧な語り口調でしかも状況が目に浮かぶように印象的な筆致である。この名著は歴史を感得させてくれるし、歴史をぐいぐい脳裏に駆け巡らせる。そして感情を高ぶらせ、日本人の愚かさを教えてくれる。

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