たゆたふ時間

春が来て(自宅の庭) 春が来て(自宅の庭)

 

canopus21は、僕と友人わずか3人からなるヨットクラブ(ycc)の25フィートのヨット。小さな仲間。横浜市金沢区の平潟湾から横須賀沖へ航行中。

航行中のcanopus21 航行中のcanopus21

以下は森下久彌さんの「海の夜明け」という歌の1番の歌詞である。(森繁ぶしが聞こえてきそうです)

“今日が生まれてくる 海の彼方に

闇を吹きはらい 夜明けが来る

何よりも美しい このひとときに

人間はなんて 小さいのだろう

胸の中までも 洗われるような

海の夜明けは 素晴らしい”

 

海は思い出と夢を届けてくれる。。。“・・・憎んだり愛したり このひとときに 人間はなんて 小さいのだろう・・・”(2番の歌詞)。。。海は哲学的である。。。。海は実存的である。。。偶然を必然に変えるしかない人生。。。なぜ生まれ何のためにの答えがないという人生の真実。。。人がゆだねる時間と空間はこの大海のようなものだ。。。大海は焦燥している毎日の諧謔性を教えてくれているようだ。。。

 

教師としての1年が終了する早春の季節は毎年は自分にとって「たゆたふ」時間が漂う。それは何もせずぼんやり過ごす豊かな時間である。ゆらゆらして、まどかな時間である。安堵に満ちている。早春のひんやりした風と弱弱しい木漏れ日の季節。。。この自然状況はその季節に味わう個人の歴史記述とともに織り込まれ回帰してくるこの季節ごとによみがえる。。。刻印された時間と空間が回帰されるごとによみがえってくる。。。素敵な瞬間である。。。この早春のひんやりした空気とともに3月に感じていたことも思い浮かんでくる。。。東大が9月入学を提案しているが、もし東大の意見が現実化するとおそらく東大の意向が全国化するであろう。もしそうなれば、この思い出の季節が晩夏や初秋ということに移りゆくに違いない。ひんやりした早春の空気とともによみがえる青春の1ページが残暑の太陽光線とともによみがえる進学や就職の1ページということになるであろう。たとえば、終戦を迎えた時8月15日、あるいは敗北の調印を示す9月2日のように。。。

1年を終えて 書斎~卒業生からの花とメッセージ~ 

1年を終えて(逗子の先生宅で)

1年を終えて(横浜の外国語専門学校) スワンソン先生と(横浜の外国語専門学校)

 

時のめぐり。。。有限な時間を。。。モーツァルトの音楽を聴いていると哲学者ニーチェが「悲劇の誕生」の中で述べていた人生の逆説を思い出す。「古代ギリシアの喜劇の盛行は人生がやがて抗しがたい死という悲劇に向かっていることを逆説的に示している」という逆説論理を思い出す。モーツァルトの音楽は談笑に満ちている。屈託のない明るさに満ちている。しかし第2楽章にその逆説が歌われる。すなわち人生の真実。。。抗しがたい有限性。。。モーツァルトのクラリネット協奏曲(k622)やヴァイオリンソナタ(k304)の第2楽章。音楽の表現は言語を一蹴する。機械的な精神に情感的な息吹を吹き込む。

 

山の仲間と(早春の伊豆) 山の仲間とキャンプ(伊豆の天城)

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