♪ ピアノ協奏曲第20番(ニ短調)& 22番(変ホ長調) (モーツァルト 1785年)

 

バレインボイムの旧版  内田光子版

 

特に22番の第3楽章のロンドはチャーミングで、しかもきわめて内面性に富んでいる。

モーツァルトの協奏曲の第3楽章は「生きたい」本能を共感させる。いつもヴィヴィッドだ。

『・・・表現はのびのびとしていなければならないが、表情が多すぎと品格に欠け、少なすぎると平板になってしまう。曲全体を見通し、微妙なニュアンスやアーティキュレーション、アゴーギグ、間、音色などに気をつけながら、たえず、流麗さや軽快さ、うたうこと、緊張感などに気を配る。しかもそれが作為なく、なにかもが自然に、そして生き生きときこえるように弾かれなければならないのだ。・・・』(ピアニスト深沢亮子)。内田光子はテレビの番組でモーツァルト演奏におけるピアノのタッチについて「羽毛が鍵盤にやさしく触れるように。。。ああ、それではもう強すぎる。。。」というニュアンスのことを述べていた。それはモーツァルトの音楽が微妙にうつろいゆく繊細さをもった音楽であるからだ。それはすなわち人間の精神や肉体がうつろいやすくあまりに自然であることと一致する。22番のピアノ協奏曲ではしばしば指摘される晩年のモーツァルトの内面性がその2楽章に深く深くにじみ出る。対照的な3楽章のロンドはその分際立つ。23番の協奏曲の緩徐楽章(アダージョ)と最終楽章(アレグロ・アッサイ)の対比性と類似している。そもそも古典音楽の形式なのであるからそれは当然である。しかし、22番の場合は23番よりその関係が醸し出す内容がいっそう内面的である。23番はシチリアーノ風な第2楽章はどこか感覚的・情緒的であるが22番の第2楽章は内省的・思索的であるからだ。22番の最終楽章(ロンド)は開放的であるというより包み込むような愉悦性に満ちている。23番の最終楽章(アレグロ・アッサイ)はギャランティーな感じして開放的である。

*アーティキュレーション:音と音との間の区切り方やつなぎ方のこと。レガートやスタッカートやテヌートなどで表示される。

*アゴーギク:リズムやテンポを意図的に変化させる音楽表現法。緩急法のこと。

 

 

☆★☆必聴!! 内田光子(p&指揮)&カメラータ・ザルツブルク演奏(2012)のモーツァルト ピアノ協奏曲20番 ニ短調 K.466☆★☆

内田光子のこれまでの抑制された理性的な演奏とは全く異なる! 激しいテンペラメント。速い演奏。明瞭なアクセント。強打。一気に3楽章に行きつく。エモーショナルな演奏!!

 

バレンボイムや内田光子の演奏は繊細でデリカシーに満ちていて、しかし、外見的な効果や技術的なものではなく、自らの内面に語りかけるような演奏である。内心の声に耳を傾けるような演奏である。特にバレンボイムの演奏は宇野功芳氏のすでに人口に膾炙したバレンボイム最絶賛評どおりで追記することには及ばない。たとえばモーツルテウム管弦楽団でモーツァルトのピアノ協奏曲を弾き振りした名ピアニストゲザ=アンダの演奏は内田光子の演奏とは対照的でテンポも速めで楽天的である。

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