♪ 名曲“椰子の実”のふるさと

 

渥美半島遠望 愛知県渥美半島の恋路が浜

 

椰子の実 島崎藤村作詩/大中寅二作曲

1936年東海林太郎により初演

 

 ♪♪♪「椰子の実」♪♪♪

1 名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実ひとつ

故郷(ふるさと)の 岸を離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月

 

2 旧(もと)の樹は 生(お)いや茂れる 枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚を枕 ひとり身の 浮寝の旅ぞ

 

3 実をとりて 胸にあつれば 新たなり 流離(りゅうり)の憂い

海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷の涙

思いやる 八重の汐々(しおじお) いずれの日にか 国に帰らむ

 

*生(お)いや茂れる:生い茂っているだろうか

*影をやなせる:影をなしているだろうか

*胸にあつれば :胸に当てると(⇒「当てれば」のように仮定法ではない)

*沈むを見れば :沈むのを見ると(⇒「見れば」のように仮定法ではない)

 

恋路が浜の椰子の樹 椰子の実の石碑 

 

名曲「椰子の実」の歌詞の源流は、のち著名な民俗学者となる当時東京帝国大学2年在学中の柳田(松岡)國男が1898年愛知県渥美半島を旅した際「椰子の実」に遭遇したことに始まるそうだ。その話を島崎藤村が柳田から聞き柳田に「柳田(松岡)君、この話はもらったよ。」と述べた。すなわちこれがこの名曲の源流というわけだ。この名曲の歌詞どおり、遠き島より日本に流れついた椰子の実を故郷あるいは故国を離れ異郷の地にある自分をかぶらせた。。。望郷の念はほろにがく涙を誘う。。。

この曲が初演された1936年は1931年の満州事変からすれば戦時中ということになり、1937年日中戦争勃発とうことからすればまさに戦争直前という時代である。童謡「里の秋」の歌詞にも登場する「椰子の島」が戦時中の戦闘地であり、それは南の島に出兵して無念の死を遂げた多くの尊い命の涸れた涙であり。。。虚しい歴史と同意であり。。。傍若無人で拙劣な日本の指導者の犯した戦争犯罪であり、当時のファナティシズムであり。。。何があっても平和でなくてはならない!

 

『海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷の涙』・・・空間と時間と人の絆。。。生きとし生けるものの強い強い本能、すなわち「生きたい・知りたい・仲間になりたい」。。。仲間になりたいという本能こそ「絆」に他ならない。。。

伊良湖岬の灯台 伊良湖岬から神島を望む

渥美半島は、江戸時代田原藩の家老で蛮社の獄に殉じた渡辺崋山の故郷である。渥美半島の海岸線は風光明媚で太平洋に隣接していて、特に観光名所となっている恋路が浜は「日本の渚100選」「日本の音風景100選」「日本の道100選」「日本の白砂青松100選」の一つだ。恋路が浜の先端にある伊良湖岬の灯台は「日本の灯台50選」だ。渥美半島は温暖でひまわりとメロンの産地でもある。また豊橋から渥美半島にかけて栽培されている電照菊は全国的に有名である。

伊良湖岬の音の風景の石碑 渥美半島田原市の観光案内板

潮騒が聞こえる。潮騒という言葉がここほど似合うところはない。この伊良湖岬から三島由紀夫の作品「潮騒」~吉永小百合主演での映画も有名~の舞台となった神島(三重県鳥羽市)が見える。

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