「天皇と東大Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ」(立花隆)

 

天皇と東大Ⅰ天皇と東大Ⅱ

これまで単行本で出されていた立花隆の名著「天皇と東大」が1冊700円ほどの「待望の」文庫本で出た!ようやく庶民にも読めるようになった。このような重要で有意味な著書を手軽に読めるような文化的環境が必要だ。図書館に行けばいいというかもしれないがこのような内容的に重量級なる著書は自宅でじっくりじっくりじっくり読むに値する。

まあそれはさておき、立花氏ははしがきで『…あのようなもっともらしい抽象的な言説をならべただけでは、あの時代をのっとったといってもいい「超国家主義(ウルトラナショナリズム)の論理と心理」がリアリティのあるものとしては、なにひとつとして見えてこないと思ったからだ。』とあるように丸山真男の著「現代政治の思想と行動」を不満のあるものとしてつまりリアリティのないものとして両断し、つまりこの名著はことごとくリアリティをもって日本の近代の変節が記されている。半藤一利の名著「昭和史」にも相通ずる。

 

「天皇」の位置づけは明治以降西欧の絶対君主+巫術王+武力王という性格をもっっていたとある。そしてこのような天皇像を攻撃した大正デモクラシーの担い手は東大の左翼学生運動(東大新人会など)であり、また同時にその左翼攻撃を陣頭に立って天皇制国家を掲げた者も同じく東大右翼活動家(穂積八束およびその弟子上杉慎吉を崇敬する興国同志会の後身七生会のメンバー、たとえば血盟団の暗殺団の1人四元義隆ら)であった。すなわち戦前のウルトラナショナリズムおよび戦争への道の根底には東大が密接にかかわっている、と立花氏は述べる。そしてその潮流は、森有礼暗殺事件・内村鑑三不敬事件・久米邦武筆禍事件といった政府要人・学者弾圧事件に見られるように昭和からずいぶん以前にそのファナティシズムは始まっていたと指摘されている。一途な若さはしばしば他を受容しない言わば宗教的信念を生む。そしてしばしば絶対的前提のもとに「宗教的実践」の挙にでる。中東問題はその典型であろう。しかし若さを利用する陰湿な輩がきわめてずるがしこく利権を貪る。二・二六事件の皇道派と統制派など。。。

この紙面ではとてもとてもとうてい語りつくせないが、この名著の丁寧さと緻密さに唖然としながら本当に多くの真実・事実を学ぶことができるし、その史実にことごとく基づいた実証的歴史観は信頼に値する。歴史は当然のことながら語りつくせないものである。

「。。。内村は、公然と拝礼を拒絶したわけではなく、ちょっと頭を下げるには下げたのである。騒ぎが大きくなるのは、頭の下げ方が足りないとして騒ぎ出した学生がいたからである。。。内村講師を訪問し、ひざづめ談判に及んだが、どうしても承知されない。。。五人の者がめいめい(内村講師の家に)小便をして帰ってきた。これ(=内村講師の家に小便をしたこと)も一高だましいの如実のあらわれである。。。」(内村鑑三事件の実際)。中国のプロレタリア文化大革命のファナティシズムを思い起こさせる。毛沢東に絶賛された紅衛兵は利用され最終的にはひどい結果を飲むことになった。

そしてこれまでもこれからも「歴史家」が記述した「概略史」が伝言ゲームされていく。伝言ゲームはしばしば最初と最後で全く異なった話になる。ただでさえイメージやデフォルメで概略された「概略史」が読み手や読解する者の多様な読解により「新しい歴史」や「ある意図した歴史」に歪曲される。そのような歴史の困難さを我々は前提にして読解しなくてはならない。そしてこの大著のような豊富な実証的事実に基づいた歴史から熟読するしかない。

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