池塘春草之夢 階前之梧葉已秋声”(朱子「偶成」)

 マンションのベランダからの桜 マンションのベランダからの桜

 

池塘春草之夢 階前之梧葉已秋声”(朱子「偶成」)。“蜉蝣(ふゆう)を天地に寄す、渺(びょう)たる滄海の一粟(ぞく)のみ”(蘇軾「前赤壁の賦」)

また新年度がやってきた。現実は次から次へ記憶の倉庫に押しやられていく。。。この記憶の倉庫も次第に朽ちていき、その記憶内容に関して問われても応答ができない。人間は老化して脳も衰退して、やがて真理の論争も有限や無限の論争も価値の論争も、今こうして原稿を作成している行為や原稿そのものも、ああ、すべて虚しく自らの記憶から遠ざかり、やがて死は何の結論も与えず人生を終焉させる。「何かにこだわり夢中になっているこの時間とその行為」が消え去る時が来る。

みんなと食事会(自宅)  

しかし、継承者がいる場合は、次世代にあるいは他者にこれらの記憶を継承してもらうことによって自ら消え去っていく記憶を死後も存続させられる。

 クラス写真   

歴史を我々が脈々と受け継いできたように。。。過去の人となった友人や身内の記憶は今自分の記憶にあるのではないか。このようにして自分の歴史も自分の死後、自分の友人や身内の中に多少でも存続してくれるであろう。。。

本当に懐かしい担任クラスの写真を見るとき。。。成功も失敗も賞賛も後悔もすべて記憶の衰退とともに色あせる。もう悔やんだ過去への弁解や説明も雲散霧消する。。。人間は衰退する脳や肉体を持った生き物である。その現実が刻々とやってくる。そんなんことが分かっているのでときどき日々の奮闘が奮闘に値しないと感じられる。。。正しいことも正しくないことも大差はない。。。ニーチェの「一切は等価値」というニヒリズムの現実に抗しがたく飲み込まれていく。溺れていくことから逃げられない。

 

 みんなと大晦日のカウントダウン

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