ピアノ協奏曲27番変ロ長調 K.595(モーツァルト)

「何の飾りもジェスチュアもない、エッセンスだけのこの音楽を、名人的な、あるいは社交的な性格の強い協奏曲と呼ぶことは、むしろ天才の純潔と素直が計らずも露わにした逆説のように響く。すでにこの曲のはじめが、あたりまえの変ロ長調の主和音のド・ミ・ソとあがってゆくだけで、何とも言えない哀愁が漂ってくるのだが…」(吉田秀和)とあるようにこの協奏曲は他者におもねるような作為性とは対極にあるモーツァルトの人間性や精神を逆説的に表出する。

第一楽章を支配している主要和音は奇を衒った単純ということではなく彼の内なる精神そのものだ。

この最晩年の澄みきった心象とでもいうべきか、あのクラリネット協奏曲(K.622)と同一の空気が流れる。

この協奏曲の第三楽章ロンドは弾むようなけれどもロココ風なギャランティからは乖離された明るさに満ちている。

 

ピアノ協奏曲27番

モーツァルト「ピアノ協奏曲23番&27番」

クリッフォード・カーゾン(p)/ラファエル・クーベリック(指揮)/バイエルン放送交響楽団

 

Sehnsucht nach dem Frühling(春への憧れ)はモーツァルトの最後の年(1791.12.5死去)の1月14日ウィーンで作曲された歌曲。作詞者はクリスティアン・アドルフ・オーヴァーベック。「春への憧れ」はモーツァルト最後のピアノ協奏曲となる「ピアノ協奏曲27番変ロ長調 K.595(1791年1月5日作曲)」の第三楽章ロンドに酷似している。ゆえに「春への憧れ」はこの協奏曲の第三楽章の転用ともいわれる。

 

シュワルツコップのモーツァルト歌曲集

モーツァルト「歌曲とアリア集」

エリーザベト・シュワルツコップ(s)/ワルター・ギーゼキング(p),他

 

Sehnsucht nach dem Frühling(春への憧れ)~1番のみ~

 Komm, lieber Mai, und mache   (来ておくれ、大好きな五月よ)

  Die Bäume wieder grün (来て樹々を再び緑にしておくれ)

  Und laß mir an dem Bache (そして僕のために、小川のほとりに)

  Die kleinen Veilchen blüh’n ! ( かわいいすみれの花を咲かせておくれ !)

  Wie möchet’ ich doch so gerne   (どんなにか僕はすみれの花を)

  Ein Veilchen wiederseh’n (もういちど見たがっていることだろう)

  Ach, lieber Mai, wie gerne  ( ああ、大好きな五月よ、どんなにか)

  Einmal spazieren geh’n !   (僕は散歩に出かけたいことだろう !)

 

モーツァルトの最後の年、つまり1791年に 主な曲だけでも以下の作品を作曲した。いずれも珠玉の名曲である。

~1791年の作曲(古い順)~

「ピアノ協奏曲27番 K.595」 リート「春への憧れ K.596」「6つのドイツ舞曲 K.600」「弦楽五重奏曲 K.614」 モテット「アヴェヴェルム・コルプス K.618」オペラ「魔笛 K.620」「皇帝ティーとの慈悲 K.621」「クラリネット協奏曲 K.622」「レクイエム K.626」(第7曲のラクリモーサの途中で絶筆 未完成)

 

子供時代の猩紅熱の後遺症としての尿毒症が死因ではないかという説、フリーメイソンがらみの毒殺説などこの天才に飛び交うさまざまな死因説、1756.1.27~1791.12.5 享年35歳の短すぎる生涯。しかし音楽芸術に延々と光が輝く珠玉の作品、これを思えばモーツァルトは今も生きている。