フロムの「自由からの逃走」から学ぶこと

4月薄暮新千歳空港に向かって苫小牧上空 

フランス革命(1789~1799)で絶対王政が倒れると市民階級は主権を取得しフランスに対する自国意識を高めた。つまりそれまで自国意識を有していたのはほんの一握りの国王およびその取り巻き連中であったが、革命によって王政が倒れ革命を主導した市民階級が国王に代わって主権を得た。その結果市民階級は自分とは無関係と感じていた自国を身近に感じ自国への帰属意識が高まった。市民階級は“自分の国”という権利を得た。それはナショナリズムに発展した。自分の国なら大切に保持すべきだ、自国を打倒しようとする外国に対しては防衛戦争も辞さない、そのためには国民公会が敷いた徴兵制も受け入れよう… フランス西部で起きた30万人からなる農民を中心としたヴァンデー県の農民反乱(1793~1795)はこの徴兵制に反対したものであった。革命派に対抗する王党派や貴族・聖職者がこの反乱をリードしたが、革命派によってこの農民反乱は徹底的に弾圧され多くの農民が虐殺された。

 初秋の小樽フェリー乗り場

ドイツ三十年戦争(1618~1648)の結末ウエストファリア条約(1648)は近代主権国家体制を構築したと言われる。主権国家体制はやがてナショナリズムを熟成させ、その後ナショナリズムがゆえに国家間の戦争が勃発した。『戦争と平和の法』の著者グロティウスは三十年戦争を鑑みて戦争防止装置になることを期して国際法を提唱した。国際法の現出にはグロティウスの母国オランダの繁栄が戦争によって破壊されるのを防ぐという理由もあった。しかし、結局のところ国際法は戦争防止装置として機能せず近代ヨーロッパに戦争が繰り返された。

人間は生まれながらにして自由・平等の権利を有するという自然法を根底に置いた啓蒙思想、その啓蒙思想を骨子に置くフランス革命、そのフランス革命が国民の自由を否定し個より国家=全体を優先するナショナリズムに行きついた。ナショナリズムはナポレオン戦争・両大戦などを導出した。大雑把には自由・平等思想が皮肉にも不自由・不平等思想を呼んだ。

北海道野幌自然公園の晩秋風景 

「みんながやるから」「みんなもやっているから」という同調圧力やファナティシズム(熱狂)はフロムの言う「自由からの逃走」をも想起させる。自由を享受すると人は寄りすがるものの喪失を感じ、寄りすがるもののない自由つまり無所属から不安感を覚え、何か寄りすがるものや強大で安心感を与えてくれるものを求め、せっかく得た「自由」の世界から脱出しかつて嫌悪していた「不自由」の世界に舞い戻ってしまい、規律や権力者に従属することで安堵感を得るようになった。これがヒトラーのような独裁者を許容し世界を狂気に陥れた。「自由」の放棄はフランクフルト学派の主張する全体主義の温床となった。

小樽へ向かう函館本線からの車窓

アジア・太平洋戦争において日本では”お国のため”がキャッチフレーズであり、それに異を唱える者は「非国民」であり、みんな自らの生命に対する暴力の脅威におびえて国家の強要と強制に対して無口になり「合法的な理不尽」に従った。その結果むごたらしい戦争の悲劇が多発した。遠藤周作の『海と毒薬』にもみられるように「同調圧力」は少数の戦争反対や軍部の政治介入批判を圧殺した。半藤氏がその著書「昭和史」で述べているように明治政府が積みあげてきた近代国家体制を戦争という地獄に追いやり日本を破滅に導いた。

“…不穏の陰謀を企てる如きは立憲政治家として許すべからざることである。況や政治圏外にある軍部の一角と通謀して自己の野心を遂げんとするに至っては、是は政治家の恥辱であり堕落であり…”(立憲民政党斎藤隆夫議員の粛軍演説(1936.5.7))。これに対して翌日有力新聞は絶賛した。

“…近年我が国情は特殊の事情により、国民の有する言論の自由に圧迫を加えられ、国民はその言わんとする所を言い得ず、わずかに不満を洩らす状態に置かれている。…独裁強化の政治的イデオロギーは常に滔々として軍の底を流れ…”(有名な浜田国松議員の割腹問答(1937.1.21))。これに対して多くの議員は“よくぞ言ってくれた”と感得し唸った。

愛知県豊橋市神野新田の突堤からの初冬の日没

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