夏のサロマ湖・オホーツク歴史ロマン

サロマ湖は「湖に落ちる」夕焼けの美しさで有名である。極寒の季節を迎える前、つかの間の夏。湖面を通過する風の中にゆっくり時間が流れる。。。。

サロマ湖の夕焼け(8月) サロマ湖近辺の案内地図 

サロマ湖はオホーツク海と接する潟湖(ラグーン)・海跡湖・汽水湖。25kmも続く細長い砂州でオホーツク海との境界が形成されている。まさしく自然の成す造形を実感する。アイヌ語で「サル・オマ・ベツ(ヨシが生える川)」。東岸にはワッカ原生花園が広がる。道内1位・琵琶湖・霞ヶ浦についで国内3位の面積を誇る湖である。

海岸地形(地理用語集(山川出版))

*砂嘴(さし):半島の先端や岬から海に突き出した細長い砂礫の州。沿岸流により先端部は内湾側に湾曲する。
                       【例】根室海峡の野付崎。伊豆半島の戸田(へた)。

*砂州:砂嘴の一種。砂嘴が発達して入り江や湾を閉ざすように伸びた州。
                       【例】サロマ湖とオホーツク海の境界。宮津湾の天橋立。美保湾の弓ヶ浜(夜見ヶ浜)。

*潟湖:砂州などによって海と部分的にまたは全体的に隔てられてできた湖。
                       【例】サロマ湖。能取湖。八郎潟。中海。

いかにも海との境界線はどうなっているんだろう?誰もが浮かぶ素朴な疑問。結論は発達した砂州によって閉じられている。海との開削をめぐってサロマ湖の東岸住民と西岸住民との間でいろいろ意見の相違・トラブルが生じた歴史があったが紆余曲折を経て現在は海と湖は北見市常呂町側に人工的に第二湖口が開かれている。

サロマ湖を表示する道路標識 白滝村(国道333号線) 白滝村(国道333号線)

かき・わかめなどの養殖が盛ん。毎年6月にはサロマ湖一周100kmウルトラマラソンが開催される。全国からランナーがやってくる。このマラソン時はにぎやかであるがふだんは雄大で静寂な北海道の大自然そのものである。

30度を超える夏のサロマ湖畔の標識 

北海道では弥生時代には寒冷地だろうゆえに稲作が行なわれず狩猟採集を中心とした縄文的な文化が存続した。この文化は続縄文文化と呼ばれている。1933年山内清男氏による命名である。続縄文文化は本州以南では弥生文化・古墳文化の時代に相当する。
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北海道では続縄文文化の時代に続いて擦文文化と呼ばれる時代が続く。本州以南では奈良時代・平安時代・鎌倉時代に相当する。擦文文化は発見された土器の表面にハケメと呼ばれる整形痕=擦文がみられるのでそう呼ばれる。
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擦文文化の時代と並存するようにオホーツク沿岸ではオホーツク文化(8c~11c)が広がった。考古学研究によるとオホーツク文化は樺太に起源を持つ海獣狩猟民の文化であるそうだ。その担い手はニブフ(ギリヤーク族)といわれる。また住民は五角形の大型の竪穴式住居に住み、独特のオホーツク土器を用い、鯨・オットセイ・アザラシを捕獲し、犬・豚を食し、骨角器・石器のみならず鉄器も使用していたとある。網走のモヨロ貝塚や北見市の第二常呂貝塚が考古学的ロマンを誘う。

*本州以南:弥生文化・古墳文化の時代⇒北海道:続縄文時代。
*本州以南:奈良時代・平安時代・鎌倉時代⇒北海道:擦文文化の時代&オホーツク文化。
*本州以南:室町時代・江戸時代・近代前期⇒北海道:アイヌ文化の時代。

擦文土器(札幌・旧北海道庁) オホーツク式土器(網走・モヨロ貝塚)

オホーツク海とサロマ湖。地理学・日本考古学の側面。できうる限りの「予習」をしてこの魅力ある大自然を満喫。。。

サロマ湖東岸の海鮮市場[海の市] Aコープ佐呂間店(北海道常呂郡佐呂間町)

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