松浦武四郎記念館

 松浦武四郎記念館(三重県松坂市)  松浦武四郎記念館入口の北海道を模した植木  

 

北海道の名付け親である松浦武四郎は現在の三重県松坂市小野江町に1818年2月6日に生まれ1888年2月10日に東京都神田五軒町でその生涯を閉じた(享年71歳)。その生涯を通して北海道から九州(沖縄は厳密には1879年琉球処分まで日本の領土ではなかったので沖縄への旅はない)まで本当によくこんなにというほど津々浦々旅をした人物である。しかもその当時のこととはいえその行程のすべてが徒歩であった。長崎に旅した際、幕末の北方の気がかりな状況(ロシア船の接近など蝦夷地の騒がしい状況)を知り、28歳に第1回目の蝦夷地への旅を開始した。以後5回つごう6回蝦夷地の探索が行われた。北は樺太まで東は択捉島に至る。明治になって蝦夷地に詳しい武四郎は開拓使判官に就き彼の提案に基づき蝦夷地が1869年北海道と改称された。道北の音威子府に「北海道命名の地」と題する木碑が立っている。この木碑はかなり傷んでいたので2012年修理されている。アイヌ人アエトモの意見もあって「北のアイヌ人が暮らす大地」=「北加伊道」と命名されそれが「北海道」になった。

 松浦武四郎記念館内の「草の舎」再現 松浦武四郎記念館内のアイヌ衣装

武四郎は大久保利通・吉田松陰・木戸孝允・頼三樹三郎との交流もあり、そのような交流を通して、幕府や明治政府の対アイヌ政策を批判した。同時にアイヌ人との交流を経て和人とくに場所請負人の非道を世に訴えた。武四郎はこのような非道や不正を断じて許さなかったため賄賂を贈って政府と結託した場所請け負人にしばしば妨害され、わずかな間で開拓判官の職を辞した。そのようなこともあって旅行家・作家・地理学者・博物学者であるばかりか人権を重んじる人権思想家でもあった点は特筆すべきことだ。かれは晩年当時の政府や開拓使のありかを「バカくさい」と感じそれを皮肉った「馬角斎印」という印鑑を作った。

 

最晩年、健脚もようやく衰えた武四郎は東京に畳一畳の書斎「草の舎」を造った。草の舎はこれまで全国を旅した中で知遇を得た多くの人から送ってもらった材料からなるものであり、この狭さは死後は何も持っていくわけにはいかないという思想からくるものであった。この材料の送り主などその由来を「木片勧進」という書に詳細に著した。この澄み切った人生の晩年を具現した一畳の住処「草の舎」は現在東京都三鷹市の国際基督教大学内に現存する。是非訪れたい。

 松浦武四郎記念館内の床の東西蝦夷山川取調図

郷土の偉人松浦武四郎記念館は伊勢自動車道久居インターから車で30分ほどのところにある。時を超えてその足跡の偉大さとヒューマニズムと孤高とした透徹の美学に遭遇するであろう。

松浦武四郎記念館内の武四郎像 松浦武四郎記念館入口案内板

【松浦武四郎の主な著書】

「蝦夷日誌 一編・二編・三編」「東西蝦夷山川地理取調日誌 上・中・下」「蝦夷漫画」(武四郎直筆の漫画)

*現在は秋葉實編「松浦武四郎選集一」「松浦武四郎選集二」などで現代語訳されたもので読むことができる。

*「北海道の名付け親 松浦武四郎ーアイヌ人と交流した伊勢人の生涯」(山本命著)がその武四郎の概略を知り得て簡便である。この本は記念館で500円で購入できる。

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