東京駅周辺歴史探訪(その1)

1 東京駅駅舎~東京停車場(1912年竣工):東京帝国大学工学部教授辰野金吾設計。

 東京駅丸の内の赤レンガ。戦時中東京空襲で屋根に設置されていたドームが破壊された。竣工100周年記念となる2012年大修築が完了してドームも含めて竣工当時に復元された。この東京駅丸の内南口には原敬暗殺現場の印と案内プレートが設置されている。2Fは東京ステーションホテル。1人1泊最低料金30030円、最高料金808500円(ロイヤルスイートルーム)。

 

東京中央郵便局から東京駅を望む。
現在の東京駅駅舎丸の内口天井。

 

2  東京駅における2つの首相遭難事件と現場

原敬(はらたかし)首相暗殺事件(1921.11.4)

原敬は1921年11月4日大塚駅職員の中岡艮一 (なかおかこんいち)に東京駅丸の内南口改札付近で刺殺された。東京駅丸の内南口には原敬暗殺現場のプレートと床のタイルに暗殺地点の印が明示されている。中岡による原暗殺は、①上司との会話で原暗殺を言明した、②原の政商や財閥優先の政治をかねてから批判していた、③原が普通選挙を実現しなかった、などの理由からであった。中岡は無期懲役刑となったが1934年の釈放、戦中は軍部に奉職し、処罰を受けることなく1980年77歳で生涯を終えた。

東京駅丸の内南口改札付近。

浜口雄幸首相遭難事件(1930.11.14)★

1930年11月14日東京駅で愛国者社員佐郷屋留雄(さごうやとめお)に銃で撃たれその際の傷が原因で1931年8月に死去。佐郷屋は“首相をなぜ撃ったのか”という質問に対して“統帥権を侵したからだ”と返答した。警察が“では統帥権とは何か”と問うと答えられず無言であった。佐郷屋は死刑を宣告されたがのちに釈放された。東京駅新幹線乗り換え口付近には浜口雄幸遭難事件を示すために柱にプレートおよび床にマークが表示されている。

東京駅新幹線改札付近。

3 日本銀行本店(1896年竣工):東京帝国大学工学部教授辰野金吾設計。

東京日本橋。現在も稼働。辰野金吾はコンドルの弟子。

辰野金吾設計の日本銀行本店。

4 鹿鳴館(1883年竣工)

  イギリスの建築家で東京帝国大学に招聘されたコンドル設計。東京日比谷。井上馨の欧化政策(鹿鳴館外交)の舞台。現存せず、跡地を示す史跡表示板

東京日比谷の鹿鳴館跡(東京日比谷)。井上馨の条約改正外交の舞台。

5 法務省旧本庁舎(1895年竣工)

ドイツ人ヘルマン=エンデおよびヴィルヘルム=ベックマン設計によるネオ=バロック建築。通称赤レンガ。千代田区霞が関。

明治時代になると殖産興業・富国強兵をスローガンとして欧米並みの近代国家形成の空気の中で、政治・経済・社会同様文化もしかり、欧米化の波の中で進展した。個人の住宅は依然として和風を呈していたが、官庁・銀行・学校・駅舎・ホテルなど特に公的性を要する建築物は概ね洋風を呈した。たとえば現在も現役で稼働している東京霞が関の法務省庁舎(皇居桜田門近辺)は赤い煉瓦造りの堂々たる洋風建築である。全国津々浦々、明治時代以降の歴史的洋風建造物は枚挙に暇なく例示することは容易である。逆説的は、明治期日本がいかに強烈に欧米志向であったのか、「上からの」改革でいかに強烈に少なくとも外見的には欧米近代国家造りに勤(いそ)しんだかということであろう。

*霞が関の官庁の建物は全て洋風にする計画があったが、結局予算がつかず現在ひときわ目を引く法務省庁舎のみに終わった。

法務省旧本庁舎(赤レンガ庁舎)。ボアソナード関連の史料も展示。

6 憲政記念館(1960年竣工 東京都千代田区永田町1丁目):旧井伊直弼上屋敷・旧陸軍参謀本部・旧陸地測量部(国土地理院の前身)

  国会議事堂に隣接。尾崎行雄記念館。内部には近代日本の憲政史資料や国会議事堂の歴史資料、さらに模擬会議場が設置されている。何よりも近代日本の「憲政の神様」と称された尾崎行雄に関する資料は近代日本の政治史を追憶させる。

憲政記念館(国家議事堂に隣接 千代田区永田町1丁目)。
尾崎行雄の対米桜-ハナミズキ外交の絵(憲政記念館内)。
模擬議場(憲政記念館内部)。
渡米の際の姿を描いた尾崎行雄像()憲政記念館中庭)。

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