近現代日本史既出論述問題テーマ(その2)

大学入試授業用日本史論述テキスト

1 一橋大学既出問題から~大日本帝国憲法の特徴

1 「天皇は神聖」「内閣の輔弼」が意味する点  
 ☆「天皇は神聖」:天皇制の保持・天皇への無答責。  ☆「内閣の輔弼」:天皇の権限抑制
2 旧憲法下における内閣権力の弱体理由  
 ☆内閣総理大臣以下各大臣は天皇によって任命され、天皇に対して単独責任を有
  する。内閣総理大臣に国務大臣の任免権がなかった。
3 「統帥権」(11条)と「編制大権」(12条)の相違点
 ☆「統帥権」には内閣や議会の輔弼はなく、陸軍参謀本部と海軍軍令部が輔翼。
 ☆「編制大権」には内閣の輔弼および議会の関与が認められている。
4 「安寧秩序を妨げず」「臣民たるの義務に背かざるに」(28条)と自由権 
 ☆臣民の義務としての国家神道を尊崇するという条件の下の自由権
5 超然主義の意味合い  
 ☆政党および議会に対してとられた超然主義は逆説的に予算審議権等の権限が議
  会に存在したことを意味している。

①天皇

・天皇大権:宣戦・講和・条約・統帥権・編制権・戒厳令・改憲発議権。 

 *天皇大権は無答責。私擬憲法のひとつ「憲法草稿評林」(岩手県の民権運動家小田 為綱起草)は天皇有責論を叙述。

・統帥権(11条)には参謀本部や軍令部の輔翼関与はあるが内閣の輔弼関与はなく、編制大権(12条)には内閣の輔弼関与があった。

*統帥権干犯問題(1930 浜口内閣)

海軍軍令部は兵力量に関する編制大権を統帥権の中に含めて解釈したので内閣が統帥権を干犯したと政府を攻撃した。憲法上は統帥権と編制権は別立てであるので内閣の解釈は憲法上の誤りはない。

 *輔弼と輔翼

【輔弼】

輔弼とは、内閣が天皇の行為としてなされ或いはなされざるべきことについて進言し、採納を奏請し、諸案を決定することである。内閣は輔弼事項に関してその全責任を負う。それゆえに天皇は内閣が輔弼した決定事項や意向に従う。編制大権は輔弼事項とされる。大日本帝国憲法には天皇大権の規定があるので天皇大権に関する諸案に決定を下すのはたてまえ上、あくまでも天皇である。しかし天皇は失敗・敗北してはならないので「輔弼」という形で内閣が実際には諸案を決定し天皇はその意向に従う。もしこれらの諸案が失敗であればその責任を大臣ら文武の官がもち辞任なり処罰なりを受ける。要するに「輔弼」はいわば“身代わり制度”ともいわれる。

国務上の輔弼は国務大臣、宮務上の輔弼は宮内大臣および内大臣が担う。旧憲法下の時代において、実際に天皇は自ら諸案を出して親政を行ったことはなく内閣の輔弼に従った。昭和天皇の「輔弼主義」「立憲君主主義優先主義」に対して弟秩父宮親王が非難したこともある。

【輔翼】

輔翼とは、参謀本部や軍令部が天皇に対して行う補佐のことである。輔翼は単に輔佐(補佐)と同じ意味であるので参謀本部や軍令部は天皇の意向に沿って作戦等を立案する。統帥権は輔翼事項である。

②条件付き「信教の自由」

条件付きとは「法による支配」(rule by law)=自然法より実定法が優先されるありかた*大日本帝国憲法

「法の支配」(rule of law)=実定法より自然法が優先されるありかた。 *日本国憲法

 ・国家神道遵守という条件の下信教の自由は是認。 *内村鑑三不敬事件(1891)。

③条件付き「表現の自由」⇒「条件付き」に関しては上述②参照。

 *新聞紙条例・治安警察法・治安維持法・学者弾圧諸事件。

④内閣および内閣総理大臣

・内閣は天皇を輔弼する。 *これは天皇大権への歯止め・制限的意味を有する。

・内閣総理大臣・各国務大臣は天皇によって任命され、内閣総理大臣は他の国務大臣に対する任免権はなく、総理大臣も他の国務大 臣も同格とされる。特に陸軍大臣の推挙或いは辞退に関しては陸軍が掌握していたことはしばしば内閣存続に影響。

・天皇に対して各国務大臣は単独責任をとる。ゆえに内閣不一致が生じしばしば内閣は総辞職し短命に終わった。戦前の内閣が短命であった理由のひとつがそこにある。現憲法のように国会に対しての連帯責任制ではない。

・大日本国憲法には内閣総理大臣の規定はない。

・内閣総理大臣の権限が強化されたのはずっと後戦時中のことで、近衛文麿内閣時に設立された首相諮問機関の企画院や大政翼賛会にその例を見ることが出来る。

⑤議会

・立法権や予算審議権は議会付与された権限であった。政府はこの点において議会を無視できずやがて議会と妥協することになっていった。議会は多くの民党議員が占めていたので、ということはつまり民党を無視できなかった。超然主義はむしろ逆説的な意味合いがある。選挙権の拡大は妥協の産物とみなすことが出来る。さらに日清戦争後政府と政党の接近はそのような背景が基本的にある。

2 東京大学既出問題から~大正デモクラシーの背景と実際と限界~~<その2>

1 背景  
 ☆第一次世界大戦の総力戦というあり方。 ☆ロシア革命や米騒動。
 ☆ウィルソンの“民族自決”の精神。  ☆原内閣の教育改革。
2 実際 と限界
 ☆大日本帝国憲法下規定=立憲君主制に抵触するデモクラシーの限界。  
 ☆排外的なナショナリズムにおけるデモクラシーの限界

①世界的な潮流

・第一次世界大戦が総力戦であったことは国民の発言力を高めることになった。総力戦に付き合わされた国民は“戦争への協力と引き換えに”という意味合いから発言力を増大させた。それゆえ自らの主張を自由に発するデモクラシー開花の要因になった。ex. イギリスにおける女性選挙権(1918 ロイド=ジョージ挙国一致内閣時)

・ウィルソン米大統領の十四か条平和原則のうちの“民族自決”は民族の独立や民主化運動につながった。“民族自決”も自由な空気創生につながりそれはデモクラシー開花の要因になった。ex. 朝鮮の三・一独立運動(1919)や中国の五・四運動(1919)

・第一次世界大戦後の国際協調主義の発展が自由な空気を形成させた。その自由な空気はデモクラシー開花の要因になった。

*そもそも国際協調主義的な流れは戦争は経済を疲弊させるという教訓、つまり戦争すると国家に大きな経済的負担がかかるという教訓に起因する。

・ロシア革命や国内における米騒動は社会に関心を持ち社会の問題を探るという目すなわち社会的自覚を市民に覚醒させた。

②実際と限界

・吉野作造の民本主義

 政治体制のいかんにかかわらず政治の目的は国民の福利にある。政党内閣制や普通選挙制を提唱した。黎明会(1918 吉野作造)・新人会・労学会・建設者同盟。「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」(中央公論に掲載 吉野作造の民本主義の論文のタイトル)。

・美濃部達吉の天皇機関説

 国家法人説に基づく議会主義的憲法論→天皇の機能は国家の一機関、議会や内閣の権限拡張。「憲法講話」「憲法撮要」「逐条憲法精義」。

・大日本帝国憲法の理念に抵触

 立憲君主制を理念とするつまり国民主権を理念としない大日本帝国憲法下の中の『民主主義』=『民本主義』はおのずと「法律の範囲内での自由権」に示されるようないわゆる「法による支配(rule by law)」という考え方が自然法を基盤とする「法の支(rule of law)」という発想を優越していた。現行憲法に定められている民主主義の理念=国民主権というあり方=基本的人権思想は国民主権を肯定しない大日本帝国憲法下では許容されず、民主主義は大日本帝国憲法の解釈に抵触することになった。これが民本主義を標榜する大正デモクラシーの限界とされる。

・富国強兵とナショナリズム

 明治維新以来の「富国強兵」はおのずと排外的な「国家主義=ナショナリズム」を内包し、大正デモクラシー下においてもそれは同様であり、人権を重んずる民主主義思想を受容しなかった。例えば大正期に朝鮮で勃発した三・一独立運動(1919)ではその運動に対してして大正デモクラシーは否定的にとらえた。

・関連事項~ロシア革命や米騒動からの影響~

「貧乏物語」(河上肇)・日本社会主義同盟(1920)・日本共産党(1922 山川均・堺利彦)

日本労働総同盟(1921)・日本農民組合(1922)・全国水平社(1922 西光万吉)・新婦人

協会(1920 平塚らいてふ・市川房枝・奥むめお)・赤瀾会(1921 伊藤野枝)。

 *日本農民組合(1922 杉山元治郎・賀川豊彦)は小作争議を支援するという目的。

・中産市民層・知識階級による欧米風な大衆文化

 原内閣の改正高等学校令や大学令(1918)・「中央公論」(1899 滝田樗陰)・「改造」(1919 改造社)「キング」(1925 講談社)・ラジオ放送(1925)・円本(1926)・文庫本(1927)・映画・文化住宅。

*円本の背景には関東大震災後の暗い空気を緩和する狙いがあったとされる。

こちらもどうぞ