続いつか来た道≪国道36号線(苫小牧沿岸)≫

苫小牧沿岸(国道36号線)

道南苫小牧・国道36号線。北海道によくある信号の少ない直線道路が続く苫小牧沿岸。信号が少ないので車の速度も速く、めったに渋滞は起こらない。それゆえ交通事故が多く、以前はこの道路は縁起でもない“棺桶道路”という別称があったそうであるが…

苫小牧沿岸の
環境都市宣言のモニュメント
(国道36号線)

しかし、実際は“北海道に来たな~”という広々とした解放感を満喫する道路だ。苫小牧沿岸辺りは札幌方面に向かえば右手側が太平洋が打ち寄せる、左側は沿岸を走る函館本線・遠望する支笏湖を縁取る外輪山のひとつ樽前山。樽前山は活火山でわずかながらぼうーっと煙を吐いている。晴れた夕暮れ時には夕やけを背景にその煙がシルエットになって浮かぶ。

苫小牧沿岸の雪原

3月はまだまだ冬景色、沿岸沿いには雪原。寒々とした太平洋と雪原と吹きすさぶ寒風、鈍い午後の日差し、このひととき、とても自由で解放された時間

因果の連鎖。原因が結果を呼び、その結果が次の事象の原因となり、新たな結果が次の事象の原因となり…

古代ローマ帝国の拡大は支配者と被支配者つまり社会的強者と社会的弱者を現前化させ、その価値を否定された社会的弱者の側に立ったキリスト教道徳がキリスト教の拡大とともにヨーロッパの勝者の価値として普遍化した。しかし、地動説をはじめとする近代の自然科学はキリスト教の神の存在に対して疑義~“神の存在証明”はその逆接的証明~を抱き、19世紀なるとヨーロッパにおいてキリスト教道徳は形骸化した。かくして勝者たるキリスト教の価値は衰退した。

早逝の天才哲学者ニーチェ(1844~1900 ドイツ)は、この価値を喪失した状況をニヒリズム(虚無主義)と主唱。“神は死んだ”というアフォリズム(主著『ツァラトゥストラはかく語りき』)はキリスト教的な価値の喪失を意味し、死後の救済世界=天国=神の国の存在を否定し、キリスト教思想が人生の終点すなわち勝利のゴールと期待して待望した“永遠の安住の地”のなきことを証明し、再び出発から始まるを繰り返す永劫回帰…

19世紀ヨーロッパに漂うの無価値という思潮、ニーチェはその状況を受容し、能動的ニヒリズムを肯定した。そして現実を受容し克服し絶えず強大になろうとする生命力を持つ自由人を超人と定義した。

 *既成の価値観や権威をいっさい否定する考え。ニヒリズムの考えは最初にロシアの写実主義作家トゥルゲーネフの「父と子」

  (1862)に用いられ一般化した。哲学的に用いたのはニーチェが最初である。

 *受動的ニヒリズム:人生の目標や意義を見失い刹那的現実に逃避する生き方。

 *能動的ニヒリズム:人生の悲惨さや不条理をそのまま直視し受容しそれを否定せず

         “それにもかかわらず、ならば生きていこう”と立ち向かっていく生き方。

苫小牧名産ほっきがいの
PR看板(国道36号線沿岸)

苫小牧沿岸の道、吹きすさぶ早春の寒風、芥川龍之介は自殺の直前“高架線に光る青白い火花のようなもの”=新しい想像力を希求していた。しかし、人生は、ニーチェの能動的ニヒリズムにもかかわらず、やがてゴヤの名画「犬」のようにもがいて上を目指して登ろうとするがやがてその砂山に飲まれて敗北するものだ

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